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TODAYS WORLD JAPAN 2011年天暦10(陽暦12月1日発行)

太田洪量先生の講和から引用。

 

お父様はどうしてこの歌を天一国の歌にされたのでしょうか?
お父様がお作りになった歌はほかにもあるのに、どうしてこの歌なのでしょうか?

 

この歌は、お父様が1950年10月14日に興南刑務所(徳里特別労務者収容所)を出て、12月4日に平壌をたつまでの40日の間に作られた歌です。収容所を出たばかりの丸坊主で、汚い囚人服を着て、弟子を捜し周りながら書かれた詩です。(中略)

 

たとえば2番の「蘇きた生命はいずこに」は、弟子たちを訪ねていかれたお父様のご心情です。3年前には教会に来ていたが、自分が興南にいた間もちゃんと霊的に生きていたのだろうか?

こういう切ない想いで訪ねて行かれたのです。

 

3番の「死から蘇きたこの我は、蘇かしたお方に抱かれて」。これについて私は長い間、「霊的に死んでいる堕落人間が復活摂理で生き返っていく」ということだと思っていたのですが、そうではなかったのです。お父様ご自身のことだったのです。自分は牢獄生活で肉体的に何回死んでもおかしくなかった。興南で空爆に遭ったが、自分の周り12メートル以内は神様が守ってくださった。その前の牢獄生活も、死んだはずだったのに、守ってくださった。

そのお気持ちが、「死から蘇きたこの我は、蘇かしたお方に抱かれて」という言葉になってほとばしり出たのです。

 

大事なのは4番の「愛に満つるも主の恵み」のその後です。
これはできれば韓国語で歌ってほしいのですが、日本語は「崇め崇めて奉れども」ですが、韓国語では全然違うのです。

 直訳すると、「(自分を)高め、もっと高めて、お返ししようとするけれども」 となります。


「足らぬこの身を如何にせん」。これも「この身」というと、行動とか生活とか外的なものになりやすいのですが、 直訳は「不足なるこの心、どうすることもできない」という意味です。
 

「自分は神様からこんなに恵みを受けてきたから、たくさん、たくさん、たくさんお返ししたいと思うけれども、自分の心がたりないから、どうすることもできない」そういう心情の吐露なのです。

(引用終り)